ロックは独りベッドに横たわったまま、
粉雪のちらつきはじめた夕暮れのナルシェをぼんやりと眺めていた。
無事を確認しに行った崖の上の幻獣から変な光が放たれたと思ったら、
次に気がついたのはこのベッドの上だった。
サウスフィガロでの疲れが今頃出たのか、雪原で風邪菌でも引っ掛けてきたのか、
柄にもない発熱で頭が痛いわ全身強張って手足が言うことを聞かないわで散々だ。
行方不明になったティナの情報が入るまではと
エドガーの計らいでかれこれ丸一日ベッドから降りることなく休ませてもらってはいる。
怪我自体は殆ど無く体力が戻るのも時間の問題とわかっているのだが、
こんなに身体が使い物にならないのはどうにも歯がゆく、心許ない。
(皆どうしてるだろ)
近くに人の気配は無い。
高台にあるこの家には街の雑踏はほとんど届かず、
家の主達も気を遣って静かにしているせいか、ストーブの薪の音だけがいやに大きく響く。
(…喉渇いた)
さっき眠る前にも随分飲んだ気もするが、喉が、というよりは身体が水分を欲しがっている。
視線だけ巡らせるとサイドテーブルに水差しがあった。
鉛のように重い腕をよろよろと伸ばして指先に引っ掛けると、
どうにか自分の口元に引き寄せ……
「うわっ」
あと少しというところで取り落としてしまい、
ロックの胸元は布団ごとぐっしょり濡れてしまった。
「…くそったれ…」
自分の失態に口汚く罵ることしかできず、ロックは顔をしかめた。
寝床をどんどんと浸食していく水を一人では止めることさえままならない。
エドガーを呼ぼうか。
―いや、と即座に思いとどまる。
いつもならむしろ喜んでこき使うところだが
熱のせいか今はこんなつまらない用事で誰かの手を煩わせるのはひどく気後れがする。
考えるほど靄のかかる頭がぐるぐる回って気分が悪い。
ロックは気力を振り絞って起き上がると、
まずはべったりと肌に張り付くシャツを脱ぎにかかった。
幸い替えらしきものはそばにある。ともかく濡れたままではまずい。
収まっていた悪寒がさわさわと蘇ってきた。
と、そこに。
「ロック…!?」
木桶を片手に部屋に入ってきたセリスがぎょっとして立ちすくんでいた。
大の男が息も絶え絶えに服を脱ごうともがいている姿はさぞ異様な光景だっただろう。
「セリス」
ロックは泣き笑いの顔になった。
「助けてくれ…」
粉雪−表−
――――――――――――――――――――――――
「悪ぃな」
「別に…」
布団の替えから着替えまで、親しいというわけでもない、
しかも女性に手伝わせてしまって、ロックは小さくなって新しい水差しから水をすすった。
セリスは椅子に腰掛けているがその表情から感情は読み取れない。
「なっさけないよな、俺。君を守るとか言っておいてこのざまだ。はは」
自嘲気味に笑い、ふうとため息を一つつく。
絞ったタオルをあてがいながら、セリスは首を横に振った。
「そんなことはない。私を連れての旅は相当な負担だったはず。あなたには感謝している」
「よせよ、そんなつもりで助けたんじゃない」
「それなら情けなく思うことなど無い」
「…そりゃあ」
セリスなりの労いにロックも少々口ごもってしまう。
それに、と目を合わせずセリスは続ける。
「喉が渇いたなら呼べばいい」
「それぐらいで呼びつける訳にいくかよ」
「なら、ずっとここにいる」
にこりともせず、大真面目に言葉を並べるセリスに、
ロックは意味を図りかねて答えに窮してしまった。
その沈黙に、セリスは自分の発言の微妙なニュアンスを理解したらしく、
頬を紅潮させてそっぽを向いた。
「勘違いするな。私は借りを作ったままにしたくないだけ。
それに、今は用事が無かったから」
サウスフィガロで処刑寸前のところを救い出した元帝国将軍。
まだ気心を許したわけでもないセリスはしかし恩人であり
かつて敵対していた組織の人間にどのように話をしたらいいかわからないらしい。
その仏頂面にロックはわずかに笑みを漏らした。
「俺はまだ君のことよく知らないけど、セリスって案外いい奴だよな。
少なくとも冷たい人間じゃない」
怒られるかと思いながら口にしてみると、
言われたことなど無かったのだろう、セリスは戸惑った顔になった。
「私はそんな人間じゃない」
「そんなことないさ。ところで、エドガー達は?」
「あれからずっとナルシェ側と話し合いをしている。
手を結ぶのかどうか、うやむやになっていたからと言っていた」
「そうか。じゃあ俺の世話焼いてくれてたの、やっぱりセリスだったんだな。
何だかんだしてくれてるだろ?
水差しだって、俺、確か寝る前に空にしてたはずだったし。
こぼしちまったけど、あれがなかったらもっとしんどかった。
―まあ、君に迷惑かけちゃ意味ないか」
冴えていない頭ではあったが、目が覚めるたびに一杯になっている水差しや
入れ換えられた空気の変化などはロックにも感じられた。
瞼を上げることさえ億劫だった時に聞こえていた足音は、
体形に恵まれたフィガロ兄弟のものではない。
まさか気付かれているとは思わなかったのだろう。
セリスは動揺を隠そうと言葉を探しているようだった。
その様子が微笑ましくて笑いかけようとしたら、息がつかえてむせてしまった。
「そんなに喋らない方がいい」
「はいはい、もうちょっとしたら寝るって。
でさ、セリス。気持ちは嬉しいんだけど…その、あんまりここに出入りしてるとうつるぞ?」
「悪いがそこまでやわにはできていないし、
あなたの面倒を見たくてみているわけではない。私は……。」
セリスは元の無愛想で義理の看病を強調しているが、
口にしようとして止めたその表情を見て、
ロックは彼女がどこにもいられないのだと察した。
成り行きで連れてきて協力を取り付けてしまったが
本音は果たしてどうだったのだろう。セリスも。リターナー達も。
「―ま、君が構わないならここにいていいけどさ、
俺はどこかの王様みたいに優しい声はかけられないぜ。
それに、ずっと話してるのは正直まだちょっとしんどい」
「大丈夫、私もあなたと話をしていたい訳ではないから、眠りたいときに眠ればいい。
…そう言ってくれるなら、好きにさせてもらう。
……ありがとう」
つっけんどんな物言いの合間にもわずかにはにかんだセリスににこりと笑みで返し
ロックは枕に深くうずもれた。
すると、すぐに名前を呼ばれた。返事の代わりにわずかに顔を上げる。
セリスが穏やかな表情で小首をかしげている。
「その姿、結構似合っている」
「そいつはどうも」
ふかふかの布団と枕にすっぽり埋もれたまま嫌みたっぷりに礼を言うと、
セリスはクスリと笑った。
初めて見せる歳相応の少女の微笑に、今度はロックの方がどきりとしてしまう。
セリスは掛布を丁寧にかけ直すと、ストーブの脇に椅子を動かし、
本棚から適当な一冊を選ぶとそこに腰掛けてページをめくり始めた。
ロックは再び粉雪の舞う外の景色に視線を向け、
セリスは他愛もない物語の文字を追う。
薪のはぜる音とやかんの蒸気の上がる音以外、その部屋には音も会話もなかった。
常に他者と一線を引き続けてきたセリスにとって、
一人きりでもなく二人きりでもないこの曖昧な境界線は不思議な心地よさがあった。
戦の中でしか己の居場所を得られなかった少女は
こんな風に自分がここにいていいのかと戸惑いもしたが、
この優しい沈黙はどんな戦績よりも自分を安堵させた。
ふと視線を上げると、いつの間にかロックが宣言通りに眠りに落ちていた。
額のタオルが落ちかけていたのでそれぐらいは直してやろうと
セリスは近づいて額に手を伸ばし―
―何故そうしようとしたのか自分でもわからないが、
指先でその頬にそっと触れた。
未だ下がらない熱がじわりと染みて、
それが却ってロックの生命力を際立たせる。
―生きている。
彼も。
…私も。
頬から離した指先で、今度はそっと自分の唇をなぞった。
粉雪は音も無く、しかし確かに降り積もっていく。
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■粉雪 -表-■
例のベッドシーンですね。(健全な意味で)
ちょっと可愛げの出てきたセリスの、至って平凡な話:version<表>です。
このTextはぜひ<裏>とセットでご覧下さい。
<裏>を読んだ後にこっちを読めばあら不思議、セリスがもっと可愛く見える
……ハズ。
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