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セリスは水の入った木桶を片手に、ロックの臥せている奥の部屋へと向かった。

リターナー本部からここナルシェに来るまでに彼が課せられていたという任務は
話を聞けば聞くほどかなり危険だったもので、
それ故満足な寝食もとれないままで
たどり着いた極寒のナルシェでは
幻獣を守るため息つく間もなく戦いに駆り出され、
それらを終えた途端に張り詰めていた糸が切れてしまったらしい。
一昼夜死人のように眠り続け、その後もかれこれ丸一日、
本人の意思に反してベッドに居ついたっきりだ。

セリスはその任務の途中にロックから命を助けられた縁で
リターナー側に協力する約束で同行してきたのだが、
元帝国将軍の肩書きはリターナー達との間に見えない壁を作り、
セリス自身もまた積極的に溶け込もうともしなかった。

(そう、協力するだけ。あの男がリターナーだから)

だが、防衛戦に向かう途中エドガーから言われた言葉がなぜか未だに燻る。

―愛情と勘違いして惚れてはいけない―

(惚れるだと?馬鹿げている)

セリスは鼻白んだ。借りを作ったセリスに選択肢は無く、
ロックと行動を共にするしかなかった。
命を救われたからといってそんな女々しい感情を自分が抱くわけも無い。
今こうして自分がロックの世話を焼いているのも、
リターナー達の部屋から離れる口実が欲しかっただけで、彼が心配だからではない。
第一、
水差しの水はさっき取り替えたばかりだし、

部屋の換気はその前にした。
熱は朝から三回測ったし、
着替えは手の届くところに置いてある。
早く体力が戻るようにと昼食は全部食べ終わるまで見届けた。
これ以上心配することがどこにあろうか。

不満げな面持ちで静かにドアを開けると、
予想外の光景にぎょっとして足を止めてしまう。
何とロックが見るも哀れな顔色で服を脱ごうともがいているではないか。

「ロック…!」

「セリス」

セリスに気が付いて、ロックが泣き笑いの顔になる。

「助けてくれ…」

見ると、床に水差しが転がっており、布団から胸元にかけてぐっしょりと濡れている。
それを見て、セリスもまた慌てるあまり桶の水をこぼしてしまったのであった。

エドガーの言葉が耳にこびり付く。





粉雪−裏−
――――――――――――――――――――――――




「悪ぃな」
「別に…」

掛布から敷布、果ては服の上下まで替えられたロックは
ばつが悪そうに新しい水差しの水をすすった。
極度の緊張状態と過度の肉体的負担が続いていた反動で、
熱があるとはいえ握力も無ければ脚も上がらない程の有様らしい。

「なっさけないよな、俺。君を守るとか言っておいてこのざまだ。はは」

自嘲気味に笑いふうとため息を一つつくロックに絞ったタオルをあてがいながら、
セリスは首を横に振った。
そんなことはない。

私を連れての旅は相当な負担だったはず。ロックには感謝している。
むしろ、あの状況の中二人とも無事にここまで来られて良かったと思う。

「この程度で済んで良かったと思うしかないだろう」
「…そりゃあ」

否定しないセリスの物言いにロックは少々口ごもってしまう。
それに気付かず、目を合わせないままセリスは続けた。

「それに、喉が渇いたなら呼べばいい」
「それぐらいで呼びつける訳にいくかよ」

サウスフィガロの地下で自分を連れ出した傍若無人さはどこへやら、
今のロックは別人のように大人しい。

「なら、ずっとここにいる」

にこりともせず事務的に言葉を並べるセリスに、
ロックは意味を図りかねて答えに窮してしまった。
その沈黙に、セリスは自分の発言の微妙なニュアンスを理解した。
エドガーの意味深な笑みが浮かび、頬がかあっと熱くなる。

「勘違いするな!借りを作ったまま何かあっては後味が悪い、それだけだ!
 今はすることがないから来てみただけで、誰がお前の心配など!」
「あ、ああ」

聞いてもいないのに突然声を荒げるセリスに
ロックは曖昧に相槌を打つのが精一杯だった。
ただでさえ頭が回らない今、セリスの意図するところは余計に伺い知れない。

ちなみにセリス本人も自分の感情を理解できていない。

再び訪れる沈黙。

しまった、仮にも病人に何てことを。
セリスはどう話を繕っていいかわからず、俯いてしまった。
すまないと口の中でごにょごにょつぶやくと、
それが聞こえたのかロックが口の端を持ち上げてわずかに微笑んだ。

「俺はまだ君のことよく知らないけど、セリスって案外いい奴だよな。
 少なくとも冷たい人間じゃない」

『いい奴』、セリスにはその言葉による価値がよくわからない。
帝国においてその評価が下される時は、大抵『あいつはいい奴だった』と
殉職した兵を悼む時だった。
今の私は帝国の殉職者か?同情は御免だ。


「私はそんな人間じゃない」

何故か怒ったような口調でぴしゃりと言い切られ、
ロックはかけるべき言葉を見失いかけてしまい、口をぱくぱくさせる。


「や…で、でもさ、セリス、俺の世話してくれてたの、あれセリスだよな?
 何だかんだしてくれてるだろ?水差しだって、俺、確か寝る前に空にしてたはずだったし。
 こぼしちまったけど、あれがなかったらもっとしんどかった。
 ―まあ、君に迷惑かけちゃ意味ないか」

熱のせいでいつもよりゆっくりとした口調で
途切れがちに話すロックにセリスは戸惑いを隠せなかった。
そんな容体なのに何で私なんかに気を向けられるのだろう。
そしてその事に私が動揺しているのは何故?私は義理を果たしているだけ。
頼むからそんなに優しい顔をしないで。こっちを見ないで。
ほら、咳込んだ。身体に障るから、そんなに喋らない方が。

「少し静かにしたらどうだ」

「…はい」



三度目の沈黙。



違う、こんな気まずい空気にしたいんじゃない。

セリスは自己嫌悪し、必死に他の話題を探した。
本人を横目にじっと考え込むと、道中ずっと強気だったロックが
これまで決して見せなかった自分を頼る今の顔も嫌ではないことに気付く。
弱い男は嫌いだが、この無防備な素顔を自分にも見せてくれるのは
何だか悪くない気持ちだ。
それに…もこもこの布団の合間から顔だけ出している姿も案外似合っている。
そう言ったら少しは雰囲気も和むだろうか。
そしてもう一歩近づけたら、こんな私でもロックの心に歩み寄れるだろうか。
セリスは枕元に立ちはだかると、フッと笑ってロックを一瞥した。

「その姿。お似合いね」

………。

「あ、ええと、まあ…うん」

思い切って言ったはいいが何となく恥ずかしくて、
セリスは掛布でロックを顔まで覆うと黙って部屋を出て行った。
私としたことが何故そうしようなんて思ってしまったのか。
この男といるとペースが乱れてしまう。
手の平で頬を冷やしながら、セリスは湧き上がる新しい感情を意識せずにはいられなかった。

「……。」

後に残されたのは。




その晩、ロックは夕食を持ってきたエドガーに、
自分はセリスに嫌われているのではないかと真剣に相談したのであったが、
それはまた別のお話。





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■粉雪 -裏-■

version<裏>、いかがでしたでしょうか。
セリスがフラグクラッシャーでかなり可愛くない書き方をしましたが、
自分に照れが入らない分掛け合いはこっちの方がノリ良く書けたりします。
<表>とのギャップを感じていただければ幸いです。

*この作品は某所に投稿したものを手直ししたものです*

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