日暮れ色に笑う  2     
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2.



司書たちは閲覧席の片隅に居座っている男に誰からともなく顔を見合わせた。

もう何日目になるだろう。

国王陛下直々の頼みとあらばたとえ身元不明の異国者でも入館を断れるはずもなく、
それをいいことにロックというらしいあの男は
今日も朝一番からずっと積み上げた本を片端からめくり続けている。
伝承、歴史、寓話。
それらを取り扱う一角に腰を据え、難解な専門書から子供向けのおとぎ話にいたるまで、
目に留まるもの全てに必死に手を伸ばす。
鬼気迫る瞳で日々通いつめるやつれた青年に、
はじめはとんだ厄介者を呼び込んだものだと国王を恨みかけもしたが、
よくよく見れば誰に害を為すこともなく、熱心な、というよりは強迫観念にかられたように
一日中文字を追い続け、閉館の折には心なしか肩を落として帰り行く後ろ姿は
不審を通り越して不憫にさえ映り、
中には風通しの良い席を空けてやったり帰り際に温かい茶を勧めてやったりする者もでてきた。


めったに口を開かない青年もささやかな好意にはわずかながら頭を下げて返すこともあり、
そんな小さな報告をすると国王エドガーは何故かしたり顔で微笑むのだった。


たまに訪れるエドガーも短い会話を交わせるぐらいには近しいようだったが
大体は隣で適当な本を適当に眺めまた執務に戻る程度の付き合いでしかなく、
それでも当のエドガーはどこか楽しげで
あの二人の間柄は一体何なのかと館内の人間達はこぞって不思議がっていた。


やがて日が傾き閉館を知らせるベルが鳴り響く。

「あの」

聞きなれない声に館長が顔を上げると、珍しくカウンターにロックが立っていた。



「調子はどうだ」
「どうだか」

宿の一番端、質素な一人部屋に二つの影。
挨拶と呼ぶにはあまりにも素っ気ないやりとり。

エドガーの寝酒に替わる小さな日課だった。

「最近宿の手伝いをしているそうじゃないか。笑わない割によく働いてくれると女将が喜んでいた」
「俺の気の済むようにしているだけだ。タダ飯は主義じゃねえ」

まかないのシチューを頬張りながら、ロック。

「立派な心がけだ。うちの文官たちにも聞かせてやりたいよ」

ポットの中でゆるりと開く茶葉を眺めエドガーが深く頷くのをぴくりと反応する。

「そういえばあんた、本当に王様だったんだな」

内容の割には大して興味のなさそうな口調で。

「道理で俺なんかがあそこに出入りできるわけだ。
 司書の人にあのエドガーって奴何者だって聞いたらめちゃくちゃ怒られた」

「最初からそう言ってただろう」

紅茶をすすりながら向けるエドガーの非難めいた視線も意に介さない。


「だろうとは思ったが、赤の他人のところまでわざわざ自己紹介しに来る王様がいるか。
 金持ち息子のめでたい呼び名かと思ってた」

「あのな。大体そうと知っても王様にそんな口利いてくる奴なんて初めて見たぞ」
「知るかよ。今更畏まって欲しいのか?」
「まさか。堅苦しいのは好きじゃないんだ。君といると肩が凝らなくていい。
 一日中玉座に収まっているのは……なかなか骨が折れてね」


王位を継いで早や数年。父王との約束のため、残された国のため、
ただがむしゃらにその道を歩んできたが、戴いた冠は彼にとって未だ身に余る重さだった。
若くしてその任を負うことになったエドガーに、臣下達はよく力を貸してくれているとは思う。

だが、だからこそ内に抱えた弱音は誰の前でも晒すにはいかなかった。
若き王と穏やかでない世界情勢にもっと不安なのは彼らフィガロの民であり、
自分には彼らを等しく守る義務がある。
一方で、王たる自分に頭を垂れあるいは笑顔を向けるその背中で彼らは何を思っているのか、
考えるだにぞっとすることも一度や二度ではない。
大の味方であり相談相手だった父は既に亡く、共に過ごした弟はエドガーの即位の日に城を離れた。自ら受け入れたことと己を奮い立たせて務めているものの、
ふと我に返るとどうしようもない孤独に苛まれることがある。


そんな中ふらりと現われたこのロックという人間は、
エドガーにとって愛すべき国民でもなければ腹を探り合う外交相手でもなかった。
ましてや自分の素性を知りながらも
男同士、ただそれだけの関係で言葉を交わせるのはこの男だけだった。
時間を割いてはるばる気にかけに行っても愛想どころか顔を上げられることもなく、
話しかけても返ってくるのは大抵生返事。
特に盛り上がるような話も親交を深めたという自覚もないが、
ぶらりと彼を訪ね適当にあしらわれるのは図らずして心地よいひとときだった。


彼を気遣うつもりが、己の気分転換の口実にすり替わっていたと指摘されてもおかしくないほどに。

リラックスした様子で肩をすくめるエドガーに、ロックはしかしいつになく冷めた目で一瞥した。

「何?俺はあんたの愚痴聞き役?」

抑揚のない声にエドガーは押し黙った。
浮き足立っていた感情は肩書きに爪を立てて押しとどめられる。

「帰れよ」

面倒臭そうに、ロック。

「そんな話、こんなところで俺みたいな得体の知れない奴にするもんじゃねえ。
 それに本当は俺のそばをウロウロするのはまずいんだろ」


自身へ向けられる周囲の視線が好意的でないのは
異端者と自覚するロックにとって取り立てて騒ぎ立てることでもなかったようだが、
自分と関わろうとするエドガーへの評価までは見て見ぬふりをすることはできなかったらしい。

彼はそこまで気の回せる人間だというのに。

……私が軽率すぎたのかもしれない。

「……ああ。悪かったな、もう邪魔はしない」

エドガーは来訪者を労る王の顔を作ると、静かにその場を去ろうとした。
そこへ。

「で、どこだよ」

背中に投げかけられる声。はっとして振り向くと、

「お前の部屋。いくらなんでもここじゃ無用心すぎるだろうが。
 俺は別に聞かないとは言ってないぜ、王様の愚痴ってやつ」

ぽかんとしているエドガーに親しみと言うよりは失笑に近い形でロックが初めて笑いかけた。

「あんた、変な奴って言われるだろ」

エドガーも同じ顔で返す。

「そんなことないさ、思われてはいるだろうがな」

その後、寝室の窓から音もなく入ってきたロックを泥棒扱いすると
彼の生業であるらしいトレジャーハンターと泥棒との違いを延々と説明されるはめになり、
エドガー自身は結局何も語れず終いのまま夜を費やしたのであった。





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■日暮れ色に笑う:2■

ようやく仲が進展しました。話?これでも結構進んだ方です。

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