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日暮れ色に笑う     5  
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5.



霊峰コルツを入り口として北に走るサーベル山脈は麓から続く岩場のせいで
旅人の足を遠のける造りになっており、
それを目隠しとした丘陵の一角にリターナーの活動拠点はあった。


そのアジトに暗い眼をした青年が現われたのは
フィガロ城でスパイ騒ぎがあった日からほんの数日後のこと。


リターナー達ははじめこそその青年を警戒したが、彼がその当事者であったこと、
そのおおまかな成り行きを聞くと半信半疑、というよりは興味本位に彼を迎え入れた。

むしろロックの来訪は彼らにとって帝国への鬱憤を晴らす口実にうってつけであり、
たちまち集まってきた男達は日々の抵抗活動とやらもそこそこに、卓を並べて酒瓶を取り出し始めた。
当のロックはというと、崇高な理想を掲げた集団とまでは思っていなかったが、
描いていたイメージとの温度差にいささか肩透かしをくっていた。
ただ聞けば指導者が各地の同胞を尋ね歩いて不在だというし、
その各地とやらを含めて規模的なものまで考えれば
やはりここだけを見て無下に判断するのは尚早なのかもしれない、
と招かれるままに奥へと足を踏み入れていった。




「お前も大変だったな、そんな風に馬鹿にされてさ」
「ん……まあな」

曖昧な返事をするロックに、リターナー達はフィガロはやはり帝国の犬なのだと息巻き、
帝国とどちらが卑怯か、許せないかを肴に騒ぎあっている。
ロックはその輪からは少し外れて、独り静かに酒を煽っていた。

訪れたは良かったが反帝国組織とは名ばかりの負け犬のような集団に内心うんざりしつつも、
自分も所詮負け犬の一匹なのだとひどく自虐的な気分になった。


実のところ、フィガロと帝国の同盟自体は知らなかったわけではない。
数年も前に、旅先で報じられていたのを記憶の隅に大した興味もなく留めてはいた。

ただフィガロで目覚めてしばらくはそこまで気が回るような精神状態ではなかったし、
我に返ってそう意識してみても、城主を筆頭に城の者達は
帝国の名を口にするときは決まって忌み嫌った顔をするばかり。
それにコーリンゲンの復興を一手に担う姿勢はたとえそれがポーズだったとしても
侵攻者である帝国に賛同している行為とは思い難い。
同盟という言葉に引っかかりは感じても、自らも与えられた環境を利用している以上
あの日までロックがフィガロに対して帝国へのそれと同じ感情を抱くことはなかった。


が、何度か自ら足を運んでいるらしいエドガーから聞かされるコーリンゲンの様子と
“蘇りの秘宝”、たったそれだけの言葉を手がかりに
城中の蔵書をひっくり返して情報を求める途方もない作業。
それらはいつしか焦燥感の陰に潜んでいた感情を呼び覚まして
知れず意識の奥底を掻き乱していた。


レイチェルを守れなかった、見捨ててしまったと自責の念にさいなまれる一方、
彼女の未来そのものを踏み躙ったのは紛れもなく帝国である。
レイチェルに残した複雑な想いはさておき、絶望の底にいたロックが時間の経過とともに
悲しみから憎しみに心を染められていったのは当然といえば当然のことであった。


そこに突然寄せられた会談の知らせ、受け入れたエドガー。
帝国の奴らはコーリンゲンを笑いに来るのだろうか。
軍事力を使った原因を村に押し付けて、「そんなつもりはなかった」と
白々しく嘆いてみせるのだろうか。

なんだかんだ言って、あの男は同盟国の王として帝国の言い分に卑屈に頷いてみせるのだろうか。

それは仕方のなかったこと、と?


「ちっ!」

考えるだけで腹立たしく、ロックは脳裏の映像を消さんとグラスの中身を一息に流し込んだ。
あいつは――あいつらは人を勝手に帝国からの諜報員だと思い込み、
おそらく自分の一挙手一投足を観察してはあれこれ議論していたのだろう。

まったく無駄な徒労、いい気味だ。
同盟のおかげで平和ボケしなくていいじゃないか。
体内を駆け巡るアルコールに身を任せてせせら笑ってやろうとしたが、
唇から漏れてくるのは憂鬱のため息。

帝国が憎いのは揺るぎない気持ちでフィガロにもその息がかかっているのもまた事実、
あの日しでかしたことに一片の後悔もないはずだったが
自分を嘲ったはずの男を悪しざまに思うのはなぜか思ったほど胸のすくものでもなかった。


なら俺は一体何に苛立っているのだろう。




安酒の渋味に眉を顰めていると、突拍子もない言葉が飛び込んできた。

「今頃そのフィガロの国王様も毒でも盛られてるかもな」
「……どういうことだ」

ロックが顔を上げるとリターナーの一人がへらへらと笑いながら答える。

「前の国王様だって同盟組んだ矢先に帝国に毒盛られて死んだって話だろ?
 今度だって近隣のコーリンゲンが焼き討ちにされて、今回の会談だ。
 ありゃ完全に侵略しようって魂胆としか思えねえよ。
 あんな若造、帝国がその気になれば簡単に潰せるだろ。
 なんでそんな会談引き受けたんだかなあ」

「そりゃフィガロは同盟を強調してるわけじゃねえけど、
 上の奴らが痛い目見るのはそれみたことかって感じだよな。
 帝国に尻尾振ったところで貰える餌が毒入りだなんて、とんだご褒美だよ。俺ならごめんだな!」


組織であれ、国家であれ、誰も帝国に刃向かうことなどできない。
そうとでも言いたげにほとんど八つ当たりのように笑い合う男達を横目に、
ロックはエドガーのことを考えた。


最初は助けられた手前、貴族様の気まぐれなお慈悲に少しつきあってやるだけのつもりだった。
エドガーの生来の王族然とした振る舞いはうっとうしく思うこともあったが、
それを鼻にかけるでも卑下するでもなくたちの悪い持病のように付き合っている様は
却って悪い気はしなかった。
その病気のせいだと考えれば大方腑に落ちることばかりだったし、
国の高みからの話を聞けるのは素直に面白かった。
かと思えば急に大真面目に俗っぽいことを聞いてきたり
青臭いことを言い出しては拍子抜けさせられたりと、
そうこうしているうちに知り合いとも仲間ともまた違う
うまく言葉で表わせない連帯感を持ったのは確かだった。
彼の出自を特別なものと感じることはなかったが、
近しい人の死について互いの話をした、そういう意味では特別だったのだと思う。


そしてエドガーは会ったことのないレイチェルの無念を真摯に悼み、
浅はかとなじられてもおかしくない決断もただ黙って受け止めてくれていた。
本意だったのか嘲笑されていたのかはわからないが
その時間がなければ行き場をなくした感情の暴走に身も心も壊れきっていたかもしれない。


一方で、エドガーはロックにどんな話を打ち明けていたか。

通常では考えられない病を発病し健康だった父を亡くしたこと。
複雑に絡む国政に嫌気がさして、本当は弟と国を飛び出したかったこと。
国を背負っている以上自分の感情で物事は決められないこと。
遠い目で明かされた話は全て自分を欺くための罠だったのか?
帝国のことを語るときの彼の眼には自分と同じ色の炎が宿っていなかったか?
その炎は結ばれた同盟をどのように照らしているのか?
そして今、フィガロでは。

「悪い。また来るわ」

ロックは立ち上がり、引き止めるリターナー達をかわすとさっと荷物を掴んでアジトを後にした。

目指すのはフィガロ、ではなく。





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■日暮れ色に笑う:5■

リターナーの立ち位置が若干安っぽくなっているのはバナン様がいないから。
彼がいればロックの私怨に対してそれなりの道を示してくれるんだろうけど、
残念この話はバナン様のありがたい話をする場ではない。
というわけでカット。次回はまたエドガー視点に戻ります。

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