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日暮れ色に笑う 1 2 3 4 5 6 7
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1.
「行き倒れの男?」
国王エドガーは書類を走らせるペンの手を止めて、顔を上げた。
砂漠の若き王のところに少し遅れて定時報告が届いたのは、
機械城が西の大陸からフィガロ首都側に戻る予定日の朝のこと。
近隣の村コーリンゲンが帝国から急襲を受けたと知らせがあってからまだほんの数日。
たまたま定期滞在でこちら側にあったフィガロ城からはすぐに救援と視察の為の兵を送り、
城そのものは一度必要な物資を補充しに戻る、まさにその最中だったのだ。
「それが不審な点が多いのです」
運行直前の巡回でその男を見つけたという中年の兵士は眉を顰める。
「はじめは村からの難民かと思ったのですがそれにしては装備が厚く…
だとしてもこの地方を旅するにしては随分心許ないのです」
「年は?」
「エドガー様より少し年下と見えました」
「若いのか。今はどうしている?」
「まだ目が覚めず、宿に寝かせています。
医者によれば、命に別状はないものの消耗が激しく、何日か安静にさせるべきと」
「そうか。どのみち潜るからちょうどよかったな。報告御苦労」
兵士が一礼して去ると、それまで黙っていた壮年の大臣が口を開いた。
「エドガー様」
「レディだったら私の部屋に通すんだけどな」
「真面目に聞いております」
お目付け役はにべもない。
「……スパイかもしれない?」
含みを持たせた呼び掛けには訳があった。
伯父による前国王暗殺未遂事件も、その前国王の謎の病死にも、
証拠が無いだけでガストラ帝国が陰で糸を引いていたとはフィガロでは暗黙の認識だ。
わずか数年前のそれらの出来事に加え、今度の襲撃。
原因は明らかにされておらず領土内にこそ被害はなかったが、
目と鼻の先の親交ある土地での出来事に国民の受けたショックは少なくなく、
国内では名ばかりの同盟に対する帝国からの牽制もしくは威嚇との見方が大半である。
こちらの国力を足元に見るようなやり口に怒りを、
そして数々の悲劇を甘受してしまった無力さを。
ふつふつと渦巻きだす黒い感情を、エドガーはふんと鼻を鳴らしてやり過ごす。
フィガロの関心がコーリンゲンに向けられている隙に内部に潜って引っ掻き回す、
帝国なら考えそうな手ではある。
一方で不自然さもまた拭えない。
力関係をわかりきった上でこのいかにもなタイミング、あざとい方法で
わざわざ諜報員を送り込む必要性が全くわからなかったからだ。
もちろん村の災禍から逃れてきた本当の難民なのかもしれない。
いずれにせよ、噂の当人を知らない以上判断する術はない。
――面白い。
「可能性の話です」
あくまでも淡々と述べる大臣に、エドガーはくるりとペンを回して応える。
「ならばこれで殺気立ってはあちらの思うつぼだな。
まずは一人の遭難者の命が助かって良かったと思っておこうか」
「……そうですね。ですが、くれぐれもお気を付け下さいませ」
わかっているとばかりに手を振って返事をしたが、
エドガーの興味はすでに帝国の動きなどではなく、
自分の歳とそう変わらぬらしい来訪者に傾いていた。
夕食をまたいでしまったが何とか執務に一区切りついたので、
エドガーは側近達を言いくるめて一人その部屋に向かった。
ノックしても返らない返事にそっとドアを開けてみると
薄明かりの中顔色の悪い男がひっそりと眠っていた。
これ幸いに距離をとりつつ様子を伺ってみる。
日に焼けた肌はさておき、ブルネットの髪はこの地方の民のものではない。
床に置かれたザックと護身具は長く使い込まれた形跡があり
にわか仕込みの冒険者でないことはわかったが、
旅荷自体は随分と小さく確かに長旅や砂漠越えを予定している風でもない。
報告によれば発見されたのも村と城とを繋ぐ行路からは外れていた場所だったとのこと、
目視のみで素性を探るのはなるほど限界がある。
フィガロの人間に救助されるのを見越して?
それともそうせざるを得ない何かがあった?
もう少し情報はないかと開け放しのドアを閉めながら思案していると、
音に反応するように背後から小さな呻き声が聞こえた。
「う……」
振り返ると、旅人がゆっくりと薄目を開けたところだった。
途端にこぼれ落ちる渇いた咳にエドガーが急いでサイドテーブルから水差しを手渡すと、
旅人は反射的に口をつけ、喉を鳴らして水を流し込んだ。
呼吸が落ち着くのを見計らって声をかけてみる。
「大丈夫か?」
確かに年若いのだろうが、放心状態の男の横顔は
途方に暮れた幼子のようにも死を目前とした老人のようにも見えた。
やがて意識の他に何を明瞭に思い出したのか、
あどけなさの残る面立ちはみるみるうちに引き攣っていく。
何故助けた、そう言わんばかりの眼差しで一瞬エドガーを睨みつけようともしたが、
その意思さえも自ら否定するようにすぐに体ごと背けてしまった。
「……まあいい」
予想しなかった反応にいぶかしみながらもエドガーは表情を変えなかった。
「ここはフィガロ城。砂漠のど真ん中に君が倒れていたのを
巡回の兵士が見つけてくれたんだ。だいぶ弱っているらしいから、
治るまではここで休んでいけばいい。この宿の主に話はしてあるから、
金の心配はしなくていいし部屋は好きに使ってくれて構わない」
返事は無い。これが女性なら駆け引きのしがいがあるだろうにと、ため息をつきつつ続ける。
「事情をとやかく聞くつもりは無いが、出て行く時はせめて声をかけていってくれ。
エドガーに会いたいと言えばわかるから。……君の名前は?」
「……」
長い沈黙の後、男は肩越しにこちらを見遣った。
その暗く淀んだ目にただエドガーの瞳の青を映すと、それさえも眩しそうに再び背を向ける。
「じゃあまた来るよ、お大事に」
この男の心は別のどこかを向いてしまっている。
今日は何も聞き出せまい。エドガーはそれ以上問うことをせず、さっさと部屋を離れた。
寝室へ続く廊下を歩きながら、しかしエドガーは奇妙な手応えに口元を綻ばせた。
あの男。結局一言も喋らなかったのにあんなに己を隠さない人間も珍しい。
普通は現状を把握するなり何かしら取り繕うところを、
あれではまるで胸を開いて取りだした心の中そのものだ。
おそらくコーリンゲンでの一件が噛んでいるのだろうが、
それ以上に引っかかるのは彼のあの眼差し。
哀しみや喪失感といった言葉では片付けきれない深く冷たい闇を覗き込んでいるような眼。
生まれついての冷静さとはまた違う、
むしろ情深い人間だからこそ何かを引き金に陥ってしまう冷たさだ。
あれはスパイなんかではないな、と早々締めた結論に揺らぎはなかった。
いち国家の中枢に飛び込めるほどのスパイならば、
誰が訪れるかわからない状況で起きがけにあんな打ちひしがれた表情を
作ってみせる必要などあるまい。
あの悴んだ瞳が演技だというなら、それは自分に人を見抜く目が無かった、それだけだ。
ならば彼は一体何者なのだろう?
体力が戻る頃には落ち着いて話ができるだろうか。――少々強情そうだけれど。
旅人の直情的な態度に行方の知れない双子の弟の姿を思い出し、
エドガーは回廊の窓から空を見上げた。
月がまた満ち始めようとしていた。
女将の話によると、例の旅人は行き倒れていたこととは別の何かにひどく憔悴しているようで、
食事も医者も受け付けず、
折に触れて様子を見に行けば虚ろな顔で遠くを眺めているか
鉛色なのであろう夢見にうなされているかのどちらかだという。
良好とは言い難い報告に、
時間が解決への最初の糸口と見込んでいたエドガーもにわかに案じ始めた。
あの夜見た瞳を思えばなぜか他の人間に任せる気にはなれず、
いい顔をしない側近達と執務の合間をぬっては顔を出し、声をかけ続けた。
目立った外傷もない身体は顔を見るたびに衰弱を重ね、
しかし彼自身それに何の抵抗もしていない様子から、
おかしな言い方をすれば魂が死に身体だけ生き残ってしまったような、そんな印象を受けた。
エドガーの接触に対しても無視するか寝たふりをするかだったが、
それでも誰かが気に掛けることで彼が楽になればと、エドガーは足しげく立ち寄った。
三日目、夕日が西の砂海に届き始める頃。
エドガーが訪ねると珍しく男が立ち上がって旅支度をしている。
誰が見ても快復したにはほど遠く、ふらふらと定まらない上半身に手を差し伸べようとすると、
「ほっといてくれ」
その手を払い、男がついに言葉を発した。
「毎日うっとうしいんだよ。もう出て行くから、俺に構うな」
苛立ちを噛み含めた声に、エドガーは表情を緩めた。
あまりの無反応さに気がふれているのではないかと疑いかかってもいたが、
良かった、この男は正気だ。
ようやく返ってきた返事らしい返事に安堵の息を吐き出すと、
今度は自重していた彼自身への興味がじわりと湧いてくる。
普通なら見ず知らずの人間からの手厚い計らいに恐縮し、
少なくとも謝意ぐらいは述べてもおかしくない状況で、
こんな風に悪態をつかれたのは生まれて初めてだった。
未だ身分を明かしていないとはいえ、弟にさえこんな口を利かれたことはない。
さてどうやって話を続けようか。
「……わかった。君がそういうならこちらも引き留める道理はない。
だが間もなく日没だ。お前も旅人なら砂漠の寒暖差は知っているだろう。
出ていくのは構わんが今のお前では間違いなく凍死するだけだ」
「それでも俺は行かなきゃいけない」
「どこへ?」
「……」
「しかも城は今フィガロ首都に来ているんだ。
もしコーリンゲン地方に行きたいなら半月後の定期運行を待つか
徒歩で砂漠と山脈を越えてもらうことになるんだが、その辺はどうしたものかな」
「何……?」
彼が担ぎこまれてから目覚めるまでの間に
フィガロ城は予定通り首都まで移動を終えていた。
本当は物資の調達が整い次第、数日中にはまたコーリンゲン側に戻るのだが、
自力で戻ることがほぼ不可能と知れば彼はどう出るだろう。
「そうか……いや、ああ……いい。それでいい」
勝手に遠くまで連れて来たことに抗議してくるかと思ったが、
コーリンゲン、その地名にはっと目を見張っただけで
意外にもほっとしたような顔でひとり頷く姿に、エドガーの好奇心はいっそう疼いた。
男はしばらく考え込むと、己の指先をじっと見据えながら口を開いた。
「……なあ。ここ、城って言ったよな?
図書館か何か、伝承ものの資料を読める場所はあるか」
「ああ、あるぞ。それなりには揃っているんじゃないかな」
「俺でも見れるか」
「まあ焦るな、今日はもう終いだ。私が口利きしておいてやるから、
今夜はとりあえず身体を休めろ。――ああ、その前に」
眉を険しく寄せ初めてこちらを向いた男に、エドガーも改めて向き直った。
「私はエドガー。この国の主だ。お前は?」
「……ロック。ロック・コール」
男は――ロックはようやく翳っていただけの瞳に小さな意志の光を灯した。
宵の空と同じように輝くその日暮れ色に、エドガーは唇の片端を上げて笑う。
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■日暮れ色に笑う:1■
エドガーとロックの出会いエピソードです。このコンビも大好きや…( ´Д`)
あまりにも今更過ぎて、もしかして先達の方々と話の内容が被っていたらスミマセン。
全5話か6話予定。ロックのちゃんとした出番はもうちょっと先です。
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