日暮れ色に笑う   3    
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3.



それからというもの、ロックはそれまでのように宿の仕事を手伝う傍ら図書館に出入りし、
エドガーも懲りずに合間をぬっては菓子やら茶葉を持って顔を出していた。
あの夜以来ロックの中で何か動くものがあったのか、以前のようなつっけんどんな態度は和らぎ、
代わりに軽口が返ってくることもしばしば増えた。

それにつれ、彼を取り巻く城内の空気にも小さな変化が訪れた。

はじめは子供達だった。
出入りも限られる毎日の中で、見知らぬ旅人というものは宝箱のようなもの。
それだけで気になる存在だというのに、その上親愛なる国王陛下と知り合いらしいのだから
これは近づいてみないわけにはいかない。
子供達は親の目を盗んでは図書館帰りのロックの元へ忍び旅の話をせがんだ。

ロックも元来人好きな性分らしく、小さな訪問者から無遠慮に投げかけられるあどけない質問にも
ぎこちなくもいちいち足を止めて応じてやっていた。

しばらくして気が付いた親や衛兵達がそれとなく引き離しに近づきもしたが、
色とりどりの異国の話や自ら歩き回ることで得た知識や情報は
大人達にとっても目を見張るものがあり、いつの間にか子供以上に聞き入るものもいるほどだった。
口調ががさつなきらいはあるにせよ番兵から幼い少女まで誰彼なく接し、
知らないものは知らない、言えないものは言えないというロックの飾らない話し方は
大人達の抱いていた警戒心も次第に解きほぐし
ロックもまた彼らと関わることを自分の中で少しずつ受け入れているようだった。


その影響に彼自身気が付いているのかいないのか、
驚くほど豊かな表情を取り戻していくロックの横顔にエドガーは胸を撫で下ろしてもいたが、
一方で彼がここに来るまで抱えていたものを押し殺すことになってはいないかと気にかかってもいた。
ふとした時に思いつめた顔でうなだれ、あるいはじっと考え込んでいるのは相変わらず。
フィガロでの生活の中で記憶の傷は癒えたとしてもおそらく事実そのものは解決していない。

それでもエドガーは自ら問うことはしなかった。
抱えている荷がどれだけ重くとも、いや重いからこそ
他人と易々と分かち合えるものではないことを彼はよく知っている。


両者の思惑はさておき、ひと月も経つ頃には
城主と冒険家が気の置けない距離で城内を並んで歩く姿はフィガロでは珍しくない風景となった。

生まれも育ちもまるで違う若者二人はただ一つの共通項である素直な好奇心で
互いの環境に興味を示しては子供のように思いついた感想を述べ合った。

また夜になればどちらかの部屋に出入りし、
ゆるやかに流れる時間とひとことふたことの会話を肴に酒を酌み交わした。
年の割にはいやにひっそりとした酒宴だったが、
酔いは柔らかく、心は夜闇にほどかれ、建前の鎧を脱ぎ置くには充分だった。
そして日を重ねるにつれ会話に増えてゆく己のこと、己の周りのこと。


「いい国だな」

ある夜、蒸留酒をひと口含んでロックが呟く。
目の前の城主に対する賛辞ではなく、ぽつり、誰にともなく。


「そうだろう。どの女性もみな美しく輝いている」
「そうじゃねえよ。気が付いたらこんなに馴染んじまって――
 ……自分がなんでここにいるのかわからなくなっちまいそうだ」


深まる闇に紛れて初めて漏らされる弱音に、エドガーは静かにグラスを傾ける。

「たまには忘れたっていいんじゃないか」

返事の代わりに力なく否定する首。

「そうか」

途切れる会話。
銀の月明かりをちりちりと滑らせたグラスの氷が冷ややかな音を立てる。
話題を変えるべきかエドガーが窺っていると、やがてロックが自ら口を開いた。

「俺は絶対に忘れちゃいけないんだ」

初めて会ったときに見せた瞳で語られるそれは、
エドガーが予想していたよりも遥かに痛ましいものだった。


恋人レイチェルとの出会いと予期せぬ別離。
招いてしまった不幸をいつか詫びねばと願いながら流離い続けた一年。
何一つ言葉を交わせないまま、帝国の襲撃のせいで断たれてしまった再会。
人づてに聞いた彼女の最期の言葉。
ふとしたことで耳に入った蘇りの秘宝の伝説。
そのために村の奇術使いの老人の秘薬で、遺体をそのままの姿で留めてしまったこと。
一度に突き付けられた真実と咄嗟に決めてしまった選択の重さを受け止めきれず、
逃げるように村を飛び出してわけもわからずさまよったこと。

何度も言葉に詰まり、声を震わせながら。

「ああするしかできなかった」

悲鳴にも似た細くしゃがれた声。
窓の外の星空は黙して語らない。

「……辛かったな」

労いの言葉に、ロックは背けた顔を乱暴に拭った。
時折見せていた表情の冷たさは、腕の中に染み付いた無慈悲な体温のそれだったのだろう。


エドガーはロックの葛藤を思う。
愛する者の死に直接的でないにせよ自分の力不足が関わり、
冷たくなった恋人を胸に抱いたまま命を取り戻せる方法があると知ったら
果たして自分はそれにすがらずにいられるだろうか?
例えそれがどんな手段だとしても、だ。


しかし悲嘆にくれ心のまま泣き喚くだけの方がどれだけ楽なことか。
今一度の目覚めの可能性を施してしまった以上、
ロックには彼女の早すぎる死を嘆くことも生前を懐かしく偲ぶことも許されない。
悼む心はすなわち彼女の死を認め、蘇生を諦めることを意味してしまう。


ロックにとって彼女がどれほど大きな存在だったか、そして喪失の絶望もどれほどだったか、
出会った当初を思い起こせば想像は容易い。
だからこそ、彼の下した決断に
――流すべき涙を断ち、永遠に失われたはずの彼女の明日を取り戻すことに――
いつか彼自身が苦しむことがなければと、それだけを願う。


エドガーはロックの選んだ道を肯定も否定もできず、ただそっと黙祷を捧げた。

「それで何かわかったのか、その秘宝のこと」

最初に示した分野の蔵書はあらかた目を通したのではないか、と館長から聞いている。
ただ秘宝というものが何を指すかすらわからない以上
目に留まるものは何であっても調べてみなければならない。

首を振るロックに、努めて明るい声をかける。

「なにうちは広いわけじゃないからな、そんなに落ち込むことじゃないさ。
 例えばジドールや…ガストラ帝国ならば古の―」

「ふざけるな!誰が帝国なんかに!」
「待て待て、落ち着け。誰も帝国に教えを請えと言っているんじゃない。
 ただ、お前は聞きたくもないだろうが帝国が軍事力を拡大しているのは
 古の力の研究を進めているからだと聞いている。可能性が皆無だとは言い切れまい」

「……ッ!くそっ!」

抑えきれないやりきれなさに壁を殴りつけるロック。
血の滲む拳を横目に、エドガーは慎重に言葉を重ねる。


「何も正面から相手にするだけが方法じゃないぞ。リターナーというのは知っているか?」
「リターナー?」
「反帝国組織を名乗る連中だ。
 世界のあちこちにいるらしいがこの辺ではコルツ山の国境沿いに集まっていると聞いたことがある。
 実態は俺もまだわからないが勢力次第ではいずれ何らかの形で
 帝国と直接関わることもあるかもしれない」

「……反帝国組織」
「ま、例えばの話だ」
「お前は、どうなんだ?身内の不幸に帝国が絡んでるかもしれないって言ってたろ。
 憎くないのか、帝国が」
「俺が一つ頷けば国が動くことになるだろう。簡単には決められないさ」

「面倒だな」
「そういう家業だからね」
「……そういうもんか」

ロックの垣間見せた感情の振れはエドガーに二つの罪悪感を自覚させた。
心を許しゆく一方、君主であるが為に彼が帝国の回し者である可能性もゼロにできずにいたが
そんな必要はやはりどこにもなかったこと。
そして、それ故に言えずにいたある事実を告げる機会を、完璧に逃してしまったこと。


だから彼は気付かなかった。

ロックの向ける、無彩色の視線に。





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■日暮れ色に笑う:3■

いよいよロックが荒ぶってまいりました。
それにしてもあんまりはしゃぐタイプでない(ロックは時期的に無理と思う)
二人の距離が友情的に縮んでいく表現って難しい。カップリングではないけど
熱いオトコづきあいが書いてみたいのです。

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